クロールの歴史~インディアンから始まりフジヤマのトビウオへ
クロールは「より速く泳ぎたい」そんな思いから生まれた泳ぎ方です。
そんなクロールから競泳の歴史を少しご紹介します。
1.クロールの歴史
近代の水泳競技はイギリスから始まったそうです。
水泳の始まりは平泳ぎですが、競い合うとなると速さを求め、その結果クロールが生まれてきました。
しかしそのクロールが生まれるまでには、たくさんの方々が関わっていたようです。
1.フライング・ガルさんは失格
1844年にロンドンで水泳競技会が行われました。
フライング・ガルさんというインディアンの方が、今のクロールの原型的な泳ぎで優勝されたそうです。
しかしイギリスの方は「水泳とは頭を水上に出して泳ぐもの」という持論から「水しぶきを上げながら泳ぐような泳ぎ方は野蛮」という事で、フライング・ガルさんを失格にしたそうです。
2.ジョン・アーサー・トランジオンさんはクロール考案の立役者
1800年後半(記述には1860年、1870年、1873年と色々あります)にイギリス人のジョン・アーサー・トランジオンさんが南アフリカに行ったとき、そこの原住民の方が手を交互に水から抜くように泳いでいる姿をみて、それをヒントに作った泳ぎが「トランジオン泳法」と呼ばれる、上半身はクロールっぽくて下半身はあおり足みたいな泳ぎ方を作ったそうです。
そしてその泳ぎが今のクロールの発祥と言われているそうです。
3.キャビルさんご一家も大貢献
1878年頃、イギリスの水泳選手のフレデリック・キャビルさんがオーストラリアに移住し、トランジオン泳法と思われる泳ぎ方を普及されたそうです。
キャビルさんの9人いた子供さんはとても水泳が上手で、トランジオン泳法のあおり足をバタ足に変え、その泳ぎ方はオーストラリアン・クロールとされたそうです。
4.アレック・ウィッカム君の泳ぎで「命名クロール」
アレック・ウィッカム君は1891年(別の記述では1898年)に家族とオーストラリアに来ました。
それまでに習っていたクロール泳法でシドニーで行われた競泳大会に出場しました。
その時のアレック君のコーチが「look at that kid crawling over tha water(あの子供見て!水の上を這ってる)」と言ったのが原因で「クロール」と呼ばれるようになったそうです。
5.ジョニー・ワイズミュラーさんでクロール確立
「ターザン」の映画に主演されていたジョニー・ワイズミュラーさんはアメリカ国籍の水泳選手で、1922年、100Mの自由形で初めて1分を切った人だそうです。
この時の彼の泳ぎでクロール泳法が確立されたそうです。
2.日本の最初の水泳大会でも競争となるとやはりクロール的泳ぎだったそうです
1888年、明治31年8月13日、水府流太田派と横浜アマチュアローイングクラブの外国人と横浜西波止場沖の「外人水泳場」というところで行われた対抗競泳が、日本で最初に行われた競泳の大会だったそうです。
その時に日本人は短距離では「小抜き手略体(こぬきてりゃくたい)」という泳ぎ方で優勝し、中・長距離では「片抜手(かたぬきて)」という泳ぎ方で中距離は勝って、長距離は負けたそうです。
「水連四十年史」という本には「クロールがいつごろ日本に移入されたかは正確な文献が見当たらない」と書かれているそうです。
しかし「水府流太田派では既に“小継ぎ足小抜手、通称バタ足小抜手”という泳ぎを持っていた」という事は明らかにしているそうで、日本にもこの頃にはクロールに似た泳ぎはあったようだと書かれていました。
3.フジヤマのトビウオ
この時代に生まれていない私でさえ知っている古橋廣之進さん。
当時のクロールの世界記録を次々と塗り替えたにも関わらずオリンピックでメダルが一つも取れていないのは、戦争という歴史に埋もれてしまったせいでした。
しかし彼のクロールはそれまでの水泳界の歴史を変えんばかりの泳ぎで、戦争の痛手に打ちひしがれている日本が全世界に誇れるヒーローでした。
しかし不幸な歴史が重なり、やっと出場した1952年のヘルシンキオリンピックではピークも過ぎていた事も手伝って400M自由形で8位。
しかし当時のNHKのアナウンサーの方が「日本の皆さま、どうぞ決して古橋を責めないで下さい。偉大な古橋の存在あってこそ今日のオリンピックの盛儀があったのであります。古橋の偉大な足跡を、どうぞ皆さま、もう一度振り返ってやって下さい。そして日本のスポーツ界と言わず日本の皆さまは暖かい気持ちを以て古橋を迎えてやって下さい」と思わず涙声で言ってしまった事はあまりに有名です。
戦後の日本に希望を与えてくれたフジヤマのトビウオが泳いだ泳ぎこそクロール。
クロールには人を幸せにする歴史も一緒に存在していました。